旭川地方裁判所 平成7年(ワ)100号 判決 1999年1月26日
原告
上田典子
被告
小林清
主文
一 被告は、原告に対し、金二九一万八七一八円及びこれに対する平成四年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、七八五三万七四三九円及びこれに対する平成四年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、交通事故により傷害を負った原告が、運行供用者である被告に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき損害賠償を求めた事案であり、中心的争点は、(一)本件事故の態様と過失割合、(二)原告に事故と相当因果関係のある後遺障害が発生しているか、及び後遺障害が発生している場合の障害の程度、(三)原被告間の示談の効力、(四)損害額である。
一 (前提事実)
以下の事実は、証拠を括弧書きで摘示した部分を除き、当事者間に争いがない。
1 交通事故(以下「本件事故」という。)の発生
(一) 日時 平成二年九月一〇日午後五時三〇分ころ(乙一)
(二) 場所 旭川市一条通一六丁目左一号先交差点内(以下「本件交差点」という。)
(三) 事故態様 原告運転の普通乗用自動車(旭五七た二四二五、以下「原告車」という。)が本件交差点を右折しようとしたところ、対向車線を直進してきた被告運転の普通乗用自動車(旭五六ゆ三六七〇、以下「被告車」という。)と衝突した。
2 被告の責任原因
被告は、被告車を保有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づく賠償責任を負う。
二 (原告の主張)
1 本件事故の態様と過失割合について
(一) 原告車は、青信号で本件交差点内に進入し、いったん停止したが、対面信号が黄色に変わり、かつ、原告車の対向車線を走行してきた被告車がまだ本件交差点に進入していなかったので、右折を開始した。被告車は、原告車が既に本件交差点内で右折を開始しているのを現認しながら、漫然と本件交差点内に進入し、被告車の前部を原告車の左側に衝突させた。
(二) 右事故態様を前提とすれば、本件事故についての過失割合は原告三割、被告七割である。
2 原告の後遺障害と本件事故との因果関係について
(一) 原告は、本件事故により、頭部打撲、頸椎捻挫等の傷害を負い、入院治療、通院治療を行っていたが、平成二年一一月中旬ころから、目の奥が痛む等の症状を覚え、両眼の視力低下がみられるようになった。平成三年二月ころにはさらに視力が低下したが、前眼部・中間透光体・眼底に異常所見はなく視力低下の原因が不明であったため、同年三月ころ、準静的特性検査等を受けたところ、水晶体を押さえている毛様筋の機能障害が視力低下の原因であり、右調節障害は外傷によるものであることが判明した。原告はその後も治療を続けたが、視力は回復せず、平成四年四月一七日時点で両眼の視力は〇・〇一、矯正不能の状態であり、そのほか求心性の視野狭窄がみられたため、同年一二月二一日、旭川医科大学医学部附属病院眼科の廣川博之医師により、原告の視力低下は、高度の調節緊張による調節障害が原因であり、右調節障害は交通事故の頸椎損傷による交感神経及び動眼神経の不全麻痺等の結果生じていることから回復の可能性はないとして、同年四月一七日症状固定したものと診断された(甲二)。
(二) 仮に原告の調節障害が心因的要素をも原因として発症しているとしても、頸部に交通外傷を受けた者が眼球の調節障害を起こす例はまれではなく、本件事故と原告の視力障害との間には相当因果関係がある。
3 示談について
(一) 原被告間における示談は、損害の一部についての支払の合意に過ぎず、本件事故による全損害についての示談は成立していない。
平成四年三月九日ころ、原告は、本件事故のため再就職がキャンセルとなり経済的に困窮し、さらに、頭痛、首肩部分のしびれ感等が軽快しない状態が続き、視力障害についても見通しの持てない状態に置かれており、肉体的、精神的に不安定な状況にあった。このような状況の下、原告は、東京海上火災保険株式会社(以下「東京海上」という。)の担当者から「とりあえず首部分だけ賠償金の支払をするから。」と言われたため、視力も十分でなかったこともありその言を信じて、差し出された用紙に署名押印したものである。同年五月一九日も、同様の状況で署名押印したものである。
(二) 仮に、原被告間において全損害についての示談が成立しているとしても、右示談は原告の受傷の程度、今後の治療の推移について予測困難な状態下でなされたものであるし、本件事故の過失割合について原告の過失が七割であることを前提になされたものであるから、要素の錯誤があり無効である。
(三) また、本件示談が、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)を超えて賠償請求することを許さないことを合意したものと解することは、当事者の合理的意思に合致せず、信義公平の理念に反する。
4 損害
(一) 逸失利益 四九六九万六七八八円
(二) 後遺障害慰謝料 一五五〇万〇〇〇〇円
(三) 入院雑費 一一万五二〇〇円
(四) 休業損害 四七四万六七八六円
(五) 入通院慰謝料 二二三万〇〇〇〇円
(六) 治療費 一二四万八六六五円
(七) 弁護士費用 五〇〇万〇〇〇〇円
合計 七八五三万七四三九円
三 (被告の主張)
1 示談について
(一) 本件事故による損害賠償については、既に平成四年五月一九日に原被告間で示談解決済みである(乙六)。
右示談の内容は、(1)原告の被った一切の損害に対する賠償金として、被告は、既払金と平成四年一月一〇日までの未払治療費のほか、四〇七万八三八九円を支払う、(2)右賠償金には、原告の頸椎捻挫等の後遺障害が自賠責保険において自賠法施行令二条別表の後遺障害等級一四級一〇号(以下単に「一四級一〇号」というようにいう。)に該当するものと認定されたことに伴い、右後遺障害等級を前提とした賠償金を含むものとする、(3)原告の訴える視力障害及び脳神経障害については、自賠責保険で事故との因果関係が否定されていたため、今後医師が本件事故により発生したと診断した場合には、自賠責保険に被害者請求の手続をとり、因果関係について認定を受けたうえで、自賠責保険から保険金を受領する、すなわち、自賠責保険において損害発生の事実が認定されない限り損害賠償請求をしないとするものである。
(二) 本件示談当時、原告の視力低下については、既に自動車保険料率算定会(以下「自算会」という。)の損害調査により、器質的異常所見もなく、本件事故による外傷に直接起因する障害とは捉え難いと認定されていたものであり、原告もそのことを知っていた。したがって、被告としては、視力低下については加害者の賠償義務としては存しないが、自賠責保険で支払われるなら異議を述べないという趣旨で本件示談をしたのである。
(三) また、原告は示談に至るまで代理人と称する者や弁護士に被告との示談交渉を委任していたのであるから、過失割合や因果関係について十分検討できる状況にあった。
2 事故態様について
被告車は、本件交差点進入直前に対面信号が黄色になったことを確認したが、交差点手前では安全に停止できないため進行を続けたものである。他方、原告車は、被告車が直進してきているのに交差点手前に停止すると安易に判断して、右折を開始したため、被告車の前部に原告車の前部左角を衝突させたものであり、本件事故については原告に八割の過失がある。
3 後遺障害の有無及び本件事故との因果関係について
(一) 原告は、本件事故により右側頭部等を打撲したが、意識障害などの重篤な症状及び神経症状は認められなかった。その後、原告の愁訴に応じて、各病院において眼科的、脳神経外科的諸検査が行われたようであるが、原告の訴えを医学的に説明するような客観的所見は得られず、一方、らせん状視野などのヒステリー性転換症状が病態に関与している可能性が強い状態が続いた(乙四四の二一)。原告は、平成三年三月二九日には旭川赤十字病院精神科を受診することになり、心気抑うつ状態と診断された。
(二) 原告の視力は事故後徐々に低下し、事故から五か月後に一層急激に低下して両眼〇・〇三となっているが、このような進行性の視力低下は事故による外傷では説明できない異常な経過である。しかも、他覚的異常所見がまったく得られていない。
そもそも視力検査は患者の応答に全面的に依存する自覚的検査であり、交通事故後に出現した場合は心因性視力障害や詐病であることもまれでない。原告については詐病疑いとも診断されており(乙四六の五七)、テレビや雑誌を普通に見ていることや、各種他覚的検査では異常所見が得られていないことから、器質的障害とは捉え難く、心因性視力障害と理解される。
第三当裁判所の判断
一 本件事故の状況等(争点(一)について)
1 前提事実のほか、証拠(甲一一ないし一二の二、乙四の一ないし三、八の一ないし九の三、四八、原告供述、被告供述)によれば、次の各事実を認めることができる。
(一) 本件事故の発生現場は、別紙図面のとおり、東西に延びる片側二車線の道道旭川大雪山層雲峡線(通称一条通)と、南北に延びる片側二車線の道路が交差する、信号機により交通整理がされた交差点である。原告車の進行してきた一条通東方(別紙図面<1>方向)からの見通し、被告車の進行してきた一条通西方(別紙図面<2>方向)からの見通しはいずれもよく、制限速度は時速四〇キロメートルである。
(二) 本件事故当時、原告は、一条通を西進して本件交差点に至り、対面青信号を確認して右折のため本件交差点内に進入し、横断歩道を過ぎた辺りの別紙図面<3>地点で一時停止したが、対面信号が黄色に変わり、対向車線上には交差点内で右折のため停止している車両(以下「甲車」という。)が確認されたのみであったため、右折を開始したところ、別紙図面<4>地点で対向車線を直進してきた被告車の前部が原告車の前部左角に衝突し、原告車は別紙図面<5>地点まで約一一・五メートル移動して停止した。
他方、被告は、一条通中央線寄りの車線を時速約五〇キロメートルで東進していたところ、本件交差点の手前で被告車の先を走行していた甲車が右折の合図を出したため、進路をやや左寄りに変え、本件交差点の対面青信号を確認し交差点を直進しようとしたが、停止線の約七、八メートル手前で対向車線から右折進行してくる原告車を認め、ハンドルを左に切り急制動をかけたが及ばず、黄信号で交差点内に進入し、別紙図面<4>地点で原告車と衝突した。
2(一) 右認定事実によれば、原告は、対面信号が黄色に変わった場合でも、対向直進車の有無及びその動静に十分注意して右折進行すべきであるのに、対面信号が黄色に変わったことから漫然と右折を開始し、甲車の後方から直進してくる被告車を見落としたまま右折進行したものであるから、重大な過失があり、他方、被告も、対向右折車の動静に十分注意し、制限速度を遵守して進行すべきであるのに、原告車が右折を開始しないものと軽信し、制限速度を約一〇キロメートル超過した速度のまま進行した過失があると認めることができる。
したがって、原告と被告の過失割合は、六対四とするのが相当である。
(二) これに対し、原告は、対向車線を直進してくる被告車の存在には気が付いていたが、原告の対面信号が黄色に変わった時点で被告車はまだ本件交差点の手前にいたので、交差点に進入してくることはないと思い右折を開始した旨主張し、代理人による原告の供述録取書(甲一一の二項)においてもこれと同旨が述べられている。
しかし、原告は、本人尋問において、信号が黄色に変わり、自分の目線には車がないと思ったので右折を開始した(原告供述一七頁ないし一九頁)、右折をするとき被告車が見えたのか見えなかったのか忘れた(四〇頁)等と述べており、原告立ち会いの実況見分調書(乙九の一ないし三)においても、信号が黄色に変わり右折を開始した時点ではまだ被告車を発見していないものとして指示説明しているうえ、被告供述(二九頁、五三頁、五四頁、乙四八の四項)によれば、原告は事故直後「私は青で曲がったのにどうしてぶつけられなければならないのか。」等と述べていて、被告車が対向車線を直進してきたのではなく、原告の左方向(南方)から進行してきたものと勘違いしていたことが認められるのであって、甲車の後方から直進してくる被告車に気が付いていた旨の原告の主張は採用できない。
(三) また、原告の供述録取書(甲一一の二項)には、対向車線の歩道側の車線を直進してきた車が黄色信号で停止したため右折を開始した旨の記載があるが、前記のとおり、原告は、本人尋問において、甲車を除き車は目に入らなかった旨述べているうえ、右のような車両の存在は、実況見分時にも述べられておらず、本訴提起後も一切主張されてこなかったものであって、たやすく採用することができない。
二 原告の受傷状況及び治療の経緯等(争点(二)について)
1 証拠(甲一ないし一一、乙一一の一ないし四七の一〇、四九の一ないし五〇、調査嘱託、廣川証言、古瀬証言、原告供述)によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、本件事故により救急車で医療法人回生会大西病院(以下「大西病院」という。)に搬送され、頭部・左上腕・肘・腰部・左大腿打撲、頸椎捻挫との診断を受けたが、入院の必要はないとされた。その際、右眼が少しぼやけるとの症状も訴えたが、経過観察することとなった(乙一一の一ないし三)。
(二) 原告は、翌日(平成二年九月一一日)大西病院を受診し、頸部等の痛みを訴え、一人暮らしであることを理由に入院を強く希望したため、同日から同月一九日までの九日間入院し(乙一二の五、一三の一ないし四)、退院後も通院して治療を続けていたが、同年一一月中旬ころから、右眼の奥の痛み、右側頭部痛、視力低下等の症状を訴えるようになった(乙一七の七)。
(三) そこで、原告は、同年一一月一六日、医療法人社団稲積眼科医院を受診したところ、眼底は乳頭、黄斑部その他異常ないが、視力検査の結果は右〇・〇五(〇・六)、左〇・〇五(一・〇)であって(括弧内は矯正視力である。以下同じ。)、右視力低下が本件事故に関係あるか否かは経過をみなければ分からない旨診断された(乙一九、二〇)。
なお、原告の事故前の視力は右〇・五(一・二)、左〇・七(一・〇)くらいであった(乙一八)。
(四) 原告は、その後も大西病院に通院して治療を受け、平成三年一月三一日の診察では、眼底、脳及び視神経にいずれも異常はみられず、診察終了後待合室で雑誌を膝の上に置いて読んでいるところも目撃されているが、視力検査の結果は、矯正視力が右〇・二、左〇・二であり、さらに低下していた(乙一七の一〇、一一)。
(五) 原告は、頸部痛・頭痛・上肢のしびれ等が軽快しないため、同月二九日から大雪脳神経外科病院(以下「大雪病院」という。)において治療を受けることとし、同年二月五日から五月二日まで八七日間入院し、その後も平成四年三月一〇日まで通院を続けた。
(六) また、視力低下については、旭川医科大学医学部附属病院眼科(以下「医科大眼科」という。)等において治療を受け、医科大眼科には平成三年二月四日から平成四年一二月二一日まで通院した(実通院日数一四日間)。
医科大眼科初診時の視力検査の結果は右〇・〇三(〇・四)、左〇・〇三(〇・五)であり、その後行ったフリッカー検査では右眼の視神経の機能低下がうかがわれたが、視覚誘発電位検査、蛍光眼底造影検査等の結果には異常はなく、前眼部、中間透光体、眼底のいずれにも、視力低下の原因と考えられる所見はみられなかった(乙一八、二一、三四)。
(七) 平成三年三月四日、北里大学病院を受診したところ、やはり、前眼部、中間透光体、眼底のいずれにも明らかな所見は認められなかったが、眼球の調節機能を判断する準静的特性検査等を実施した結果、毛様体の調節力障害が認められ、視力低下は調節機能障害による一過性のものと考えられる旨診断された(乙四六の二二)。
(八) 原告は、その後も医科大眼科に通院し経過観察を続けていたが、平成四年四月一七日における視力検査の結果は、両眼とも〇・〇一(矯正不能)であり、同年一二月ころ、再度北里大学病院において準静的特性検査等を実施した結果、高度の調節緊張による調節障害が認められたため(乙四六の三四)、同月二一日、医科大眼科の廣川博之医師により、交通外傷での頸椎損傷による交感神経系及び動眼神経不全麻痺による調節障害との診断を受け、同年四月一七日に症状固定したものとされた(甲二)。
2(一) 以上のとおり、原告は、本件事故直後から霧視等の症状を訴え、その約二か月後には、さらに眼球の疼痛、視力低下等の症状を訴えるようになったこと、他覚的検査である準静的特性検査の所見結果に異常がみられ、高度の調節緊張による調節障害が認められるとの診断がされていること、原告車は、本件事故により約一一・五メートル移動しているなど相当の衝撃を受け、頸椎捻挫等の傷害を負っていることが認められ、これらを総合すると、原告は、本件事故の外傷により頸椎部分を走っている交感神経系に影響を受け、両眼の眼球にある程度の調節機能障害の後遺障害を生じたものと認めることができる。
(二) しかし、視力低下の程度については、原告の主張するように、両眼の視力が〇・〇六以下になった(四級一号)との事実を認めるに足りる証拠はない。
かえって、証拠(乙四九の一ないし五〇、調査嘱託)によれば、原告は本件事故後八年以上経過した平成一〇年一〇月二三日現在も自動車の運転免許が登録されていることが認められ、両眼の視力が〇・〇一(矯正不能)であるとして症状固定の診断がされた平成四年四月以降にも、適性検査(合格基準は、視力が両眼で〇・七以上、かつ、一眼でそれぞれ〇・三以上であること又は一眼の視力が〇・三に満たない者若しくは一眼が見えない者については、他眼の視野が左右一五〇度以上で、視力が〇・七以上であること。)に合格し、免許証を更新していることがうかがわれるのである。
そのほか、原告は、平成三年四月ころ、病室でテレビを見たり(同月二日、三日、乙四〇の九)、ベッド上に座って診断書を整理したり(同月五日、乙四〇の一〇)、刺しゅうをしたり(同月八日、一一日、乙四〇の一〇、一二)、歌詞カードを見ながら歌を覚えたりしており(同月一一日、乙四〇の一一)、また、そのころから平成四年八月ころまで診察をした旭川赤十字病院精神科の医師も、診察時の原告の挙動からは重度の視力低下による不自由さが感じられず不思議な感じがした旨述べている(乙四四の二四の一二行目、古瀬証言四頁、二七頁ないし二九頁)。
右の各事実に、準静的特性検査を除く視力検査等は被検査者の訴えに多く依存する自覚的検査であること(廣川証言二六頁)、一般には、調節障害による視力低下はそれほど著しいものではなく、視力の矯正も可能であること(乙四四の二一、四六の五七、廣川証言三八頁、四〇頁、四一頁)、原告は、元来愁訴の多い性格傾向で(乙一一の四、一八、四四の二五)、平成三年三月ころから、ヒステリー反応、心気抑うつ状態の症状を呈し、旭川赤十字病院精神科で治療を受けており、平成四年八月ころにはヒステリーにみられるとされるらせん状視野狭窄が出現していること(乙二三の一〇、二七、四四の一、四四の二一ないし二三、四六の一四、廣川証言一〇頁、一一頁、古瀬証言)等を併せ考えると、原告の視力は、心因的要素の寄与により一時的に低下あるいは矯正が困難となっているとしても、日常的には少なくとも両眼で〇・七以上の矯正視力があると認めるのが相当である。
(三) 以上の諸事情を総合すると、頸椎捻挫等に起因した原告の両眼の視力低下を中心とする後遺障害は、一一級一号(両眼の眼球に著しい調節機能障害又は運動障害を残すもの)に相当するものと認められる。
三 示談の経緯及び内容等(争点(三)について)
1 証拠(甲一一、乙五ないし七、原告供述)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、平成三年七月ころから、被告が自動車保険契約を締結していた東京海上に対して視力障害が残存する旨主張するようになったため、自賠責保険の自算会において事前認定の手続が進められ、同年一〇月ころ、原告の後遺障害は一四級一〇号に該当するとの認定がされた。その後、原告は、本件事故に関する示談交渉を弁護士に委任し、平成四年一月ころには、右弁護士を解任したうえ原告の叔父と称する親戚の岩本勲が原告の代理人として後遺障害の再認定の申立てを行ったが、同年二月ころ、従前と同様、一四級一〇号に該当するとの認定がされた。
(二) その後、東京海上から、一四級相当の後遺障害を前提とした示談の申入れがあり、原告は、平成四年三月九日、自宅において次の内容の免責証書(乙五)に署名押印し、東京海上から一七〇万円を受領した。
(1) 本件事故によって原告の被った一切の損害に対する賠償金として、原告は、平成四年一月一〇日までの治療費の他に、三七〇万三三八九円を受領後には、その余の請求を放棄する。
(2) 右賠償金には、後遺障害一四級一〇号認定に伴う賠償金を含むものとし、既受領額二〇〇万三三八九円を差し引き、示談時一七〇万円を受領するものとする。
(3) 本件事故により原告に今後視力障害及び脳神経障害が発生したと医師が診断した場合は、自賠責保険に被害者請求を行うこととする。
(三) 平成四年五月一九日、原告側の申入れにより、旭川市内の喫茶店において再度示談協議が行われ、原告は、岩本も立会いのもと、先の示談に三七万五〇〇〇円を追加して支払う旨の内容の免責証書(乙六)に署名押印し、東京海上から三七万五〇〇〇円を受領した。
(四) 原告は、その後自賠責保険に対し被害者請求をしたが、視力障害等については後遺障害として認定されず、平成五年六月ころには、異議申立ても棄却された。
2(一) 以上の事実によれば、本件示談時の当事者の合理的意思としては、視力障害及び脳神経障害の後遺障害による損害(逸失利益、後遺症慰謝料)については示談の対象外とし、自賠責保険の被害者請求手続又はその手続の結果に一方が納得しない場合には裁判手続によって別途解決することとし、それ以外の損害(治療費、入院雑費、休業損害、入通院慰謝料)については本件示談により請求を放棄することを合意したものと解するのが相当である。
(二) これに対し、被告は、右示談の趣旨は、自賠責保険において損害発生の事実が認定されない限り被告には損害賠償責任がないとするものである旨主張する。
しかし、免責証書に「視力障害及び脳神経障害」と後遺症の内容が具体的に明記されたのは、本件示談時には、原被告間で原告の視力障害等の有無及び本件事故との因果関係の有無について未だ共通の認識が得られていなかったことから、これを示談の対象から除外する趣旨であったと解するのが合理的であること、原告としては、自賠責保険において被害者請求をしたらその結果を問わずそれ以上は一切被告に賠償請求しないことを承諾していたものとは到底認められないことに照らすと、被告の示談の趣旨に関する右主張を採用することはできない。
そして、前認定のとおり、原告は本件事故により一一級一号に相当する眼球の調節力障害の後遺障害を負ったことが認められるが、自賠責保険に被害者請求したところ右後遺障害の存在及び本件事故との因果関係は認定されなかったというのであるから、原告は、右後遺障害による損害(逸失利益、後遺症慰謝料)について、被告に賠償を求めることができるというべきである。
四 損害(争点(四)について)
1 治療費 〇円
原告は、平成二年九月一〇日から平成四年一二月二一日までの間の治療費合計一二四万八六六五円を請求するが、前記のとおり、治療費については既に示談により解決済であるから、請求することはできないというべきである。
2 入院雑費 〇円
原告は、大西病院(平成二年九月一一日から一九日まで九日間)及び大雪病院(平成三年二月五日から五月二日まで八七日間)入院中の一日当たり一二〇〇円の入院雑費合計一一万五二〇〇円を請求するが、前記のとおり、示談により解決済であるから、請求することはできない。
3 休業損害 〇円
原告は、平成二年九月一〇日から平成四年四月一七日までの間の休業損害合計四七四万六七八六円を請求するが、前記のとおり、示談により解決済であるから、請求することはできない。
4 逸失利益 四〇四万六七九六円
証拠(甲一一、原告供述)によれば、原告は本件事故前運送会社事務員として稼働し、月額約一〇万円の収入を得ていたが、平成二年八月末で退職し、本件事故当時は、同年九月中旬ころから洋菓子店において稼働するため待機中であり、月額約一三万円の収入を得る予定であったことが認められ、逸失利益を算定するに当たっての基礎収入は、月額一三万円とするのが相当である。
また、原告は、頸椎捻挫等に起因して両眼の眼球の著しい調節機能障害等の後遺障害(一一級相当)を負ったことにより、二〇パーセントの労働能力を喪失したと認められるが、一四級相当の後遺障害(労働能力喪失率五パーセント)を前提とする逸失利益については示談済であるから、これを超える示談対象外の調節機能障害の後遺障害による逸失利益を算定するに当たっては、一五パーセントの労働能力を喪失したとみるのが相当である。
したがって、原告の症状固定時は二六歳であるから、就労可能期間四一年に対応するライプニッツ係数を用いて計算すると、両眼の眼球の著しい調節機能障害の後遺症による示談未了の逸失利益は、四〇四万六七九六円と認めるのが相当である。
(計算式) 130,000×12×0.15×17.294=4,046,796
5 慰謝料 二五〇万円
本件事故の態様、原告の後遺障害の程度、内容等本件における諸般の事情を考慮すると、本件における両眼の眼球の著しい調節機能障害に伴う示談未了の後遺障害慰謝料は、二五〇万円と認めるのが相当である。
なお、原告は入通院慰謝料二二三万円も請求するが、既に示談により解決済であって認められない。
6 過失相殺・弁護士費用
(一) 以上の合計は、六五四万六七九六円であり、前記認定の被告の過失割合四割を乗じると二六一万八七一八円となる。
(二) 原告が本件訴訟の提起、遂行を原告代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の内容、審理経緯及び認容額等の諸事情に鑑みると、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は、三〇万円と認めるのが相当である。
7 合計
以上の合計は、二九一万八七一八円である。
五 結論
以上によると、原告の請求は、二九一万八七一八円及びこれに対する本件事故日の後の日である平成四年一二月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。
(裁判官 齊木教朗 片岡武 吉川奈奈)
交通事故現場見取図(別紙)